Skip to content

カテゴリー: 文筆

随筆:日常の書

日常の書

「日常の書」は師が「稽古の上がりの中で良いヤツを選ぶからインターネット?に上げるように」と指導があり2017年末に突然始まりました。(公開は2018年から)師が亡くなる丁度二年前です。今思えばあの頃から「無意識下の動き」があったものと振り返ります。師自体の感覚としては「潮目が変わった」そういう心境なのでしょう。

追悼文:いかに生きるかを教えてくれた

_野尻先生は十七歳で母を突然亡くし、その後に祖母の死に触れ、細君を末期癌で見送った。君江さんの死後、「懿徳」という文字を書き出す。意味を「女性によってもたらされた徳」と言った。当時「女性に支えられた人生だ」と自らを振り返る。「幸いにも字面がいい」と笑う。実に書家らしい視点。君江さんが亡くなった後から繰り返し聞くことになった言葉がある。亡くなる二週間ほど前も電話で聞いた。

随筆:伝えることの難しさ

三密という表現は端から適切とは思えなかったが、何れにせよキッチリ伝えることの難しさを改めて感じる。本当に難しい。順序だって追っていかないと把握出来ないことも多く、事態は今もなお変化し続けている。それぞれ心の構えの段階からして違う。前線に近い人からすると「もういい加減やめてくれ」と言うだろうし、言われた。全く気づかなった人からすると、いきなり掴みかかられたショックの方が強く、内容が入ってこないだろう。

随筆:言葉の伝達

この一ヶ月、体調が悪い中で師の言葉を噛み砕いて何度も何度も書こうと試みたが書けなかった。そのお陰で師が嘗て言わんとした如来の秘密がよくわかる。書くことでマイナスに働く人が大勢想起出来たからだ。余りにも多すぎる。師は「理解出来ないことを気づいていながら言うとしたら、それもまた暴力だよ」と嘗て私に言った。

随筆:一期一会

あれから一ヶ月と少し経つ。正月以外ずっと遺品整理をし続けている。まだ暫くかかりそうだ。「大変だなぁ」、「いい加減疲れた」、「終わってからも世話のかかる」と思う一方で、「まだ関われる」という安心感もどこかにある。全てが終わると呆ける気持ちが今ならよく分かる。もっとも今回は課題が多いので呆ける暇は無さそうだ。そういう意味では敢えて課題を残すのもアリかもしれないと思ったりもする。

祖母は象徴的だった「しっかりなさいね」と別れ際に良い、それが最後の言葉になった。凛々しい方だった。躾に厳しかったが愛があった。その言葉は私の心に支えになっていった。折れそうな時に過る。「負けてなるものか」と奮起する。君江さんは具体的だった。「先生と会を宜しくね」それは足かせにもなった。彼女を裏切りたくないという気持ちが強かった。私にとって二人はどこか生きて感じられる時期が長かった。ある意味では別れきれていなかった。自分の中で乖離したものを感じたままだったのだろう。

随筆:口伝證人と自伝と藝文對談ともえの流れ

自サイト「口伝證人」のページ「口伝證人の背景」と同じ文章になりますが(部分的に修正)、当初予定していたより文章より長く纏まったものになったので当サイトでも掲載しておきます。簡単に書くと「口伝證人」の来歴のような内容です。

往復小説#5-1:short‐short:景色

往復小説

天外黙彊#5:公園のはなし>松里鳳煌#5-1:景色

本文

仕事柄の癖のようなもの。
誰にしろあるだろう。
真剣に取り組んであれば当然のことに思う。
僕は人間観察かもしれない。
この前、親父に怒鳴られた。
「人ばっかり見て、お前はどうなんだ!!」
つい言いすぎた。
見ていれば自ずと口も出る。
他人事は無責任に言える。
例え事実だろうと欠点を白日の下に晒されるのは誰しも嫌なものだ。