2020/10/24土曜日、練成会に参加しました。
扉絵Photo by KONDO suien.
目次
前文
今回は麗舟会の高天麗舟代表が主宰する泰永会グループの合同練成会。私は直前まで参加可能かわからない状況にあった。今月中頃より実家の両親が床に臥せっており一週間ほど兄が看護に行ってくれている中での参加。
私は体調が優れないものの自分だけを支える分には辛うじて均衡を保っている状態。毎度恒例の季節性のものであり、かつ、過労が原因であるとハッキリしていた。風邪でも無い。だが看護は到底無理だと体感し歯がゆい思いを過ごしていた。
昨年、野尻先生にプロとして一生涯「書」を続けると宣言をしたからには、起きれる以上は見過ごすことは出来ない。
難事に即馳せ参じることが出来るよう4,5日分のお泊りセットを旅行バッグに詰め、車で向かった。こういう時、車だと柔軟性に富んだ対応が出来る。歩かない分だけ楽だし。バッグはオーストリア行きで使ったもの。随分と役に立っている。
運転中、高天さんから顔本に伝言。「何かあった?」気になりつつ一旦横へ置いておく。運転中は見ない。不思議なものでこうした事は本当に重なる。書展で伺ったお弟子さんやご友人の話からも様々な覚悟をしておく。
8時40分到着するも宛にしていたコインパーキングがまさかの満車。(ほらきた!w) これまで一度も満車になったことは無かったにも関わらずだ。更にスマホで周辺を検索するも近間に無い。時間も時間なので一旦会場に向かうと代表が丁度来られる。(幸い施設内に停めていい許可を得られた)
翠苑氏、天外氏と続々揃う。そして高天さんが到着。なんと昨日、坐骨神経痛を発症したとのこと。野尻先生から「坐骨神経痛は凄く痛い」と聞いていた。この日少し緩和したことから参加するとのことで自転車を押しながら辛うじて来たよう。前日は立てなかったようだ。9時を過ぎ順次開始。成宮さん、高天さんのお弟子さんN嶋さんが合流。
フラット
私個人の心情としては野尻先生が標榜した「堅苦しく無い会」でことを構えている。どうしてもこうした会というのはヒエラルキーが強烈になる。また、それを拠り所にしがちだ。日本人の民族性なのだろう。
島国根性、村意識。これまではそうした意識が日本を間違いなく支えていた面はあると思う。しかし、もうそこから脱却すべき時期をとう過ぎている気がする。いい意味で集合意識を持てばいいのだ。その点で野尻先生と私は意見が完全に一致していた。
時間が来たら書ける者は書く。来れる者は来れる時に来る。用事があれば途中でも帰る。子供じゃないんだから挨拶は義務化しない。何より基本において和気あいあいである。和して同ぜず。同じ意見である必要は無いが相手は尊重する。そうした事を先生はよく仰られていた。
運営は仕方がない。自由を支えるのは自由にさせている人たちがいるからだ。それは覚えておいて欲しい。先生は昭和の日本ではなく、それ以前の日本人の自在さを取り戻したかった。
先生の愚痴
野尻先生は練成会でもよく古参に注意をされていたと言う。想像に難くない。なにせ自由人だ。突然来て、突然帰る。運営からしたら間違いなく煙たいタイプである。(笑) ある練成会の翌日憤慨して私に愚痴っていたことが思い出される。
師曰く「それぞれ書く書体も違えば目標も違えば体質も才能も家庭環境も違う。それを同じ条件下で放り込むことにそもそも無理がある。そのおかしさに何故彼らは気づかないんだ? 最低限度のルールさえ守れば、何時来て、何時帰ってもいいじゃないか」と言った。実に先生らしい。
練成会
来年の書展を目算して当たりを付けておいた。自室では全体像が掴みにくい。半紙レベルで少し勘所をつけておいての参加。会場が広いので、芸術劇場のアトリエイーストの感覚で見ることが出来るのは大きなメリット。空間が広いほど作品は飲み込まれてしまう。家では充分見応えがあっても、広大な空間に晒された際に霧散してしまう。それを確認したかった。
来年の小品は既に書いてあり額装も済ませてある。今回、条幅の臨書作から取り掛かった。書いてみて思ったよりキツイと実感。体質は嘘をつかない。負荷になる行為は続かない。野尻先生の言葉だ。半紙レベルでは苦ににならないのに条幅ですら行書にストレスを感じる。
臨書作はとにかくソックリが大前提だが「臨書・作」と言う以上は空間に飲まれては困る。どこへ飾るか、先生の言う読み込みは必要になる。墨量を増やし圧を上げてみる。かなり変わった。ただ、思った以上に半紙から半切への切り替えが身体に馴染まない。強いストレスを感じている。2枚で「嫌気がさす」(笑) 確認も出来たので目的は達した。
焦り
お昼は恒例のお蕎麦屋へ皆で向かう。歩きながら「もう先生は居ない」とフト感じる。お互い思い思いの話をして後にした。皆がそれぞれ自由に発言していたのが嬉しく思う。
野尻先生がご存命中は話題の中心が全て先生になってしまっていた。私は一人「よくないなー」とずっと思って黙っていた。昔の先生は敢えて存在をかき消し「え?」とか「うん」とかしか言わないで敢えて皆に喋らせるようにしていた。代表が話題の中心になると、どうしても独裁的空気に包まれる。
だからこの六年私は敢えて先生には出来るだけ話しかけないようにした。先生にも釘を刺したことがある。「先生はほっといても吸引力があるんだから」と。対して「しょうがないじゃないか」と先生は言った。すっかり昔の自分を忘れてしまったようだ。昔の先生は大勢の前では相手に喋らせるだけ喋らせて自分は相槌しか打っていなかった。
ただ今にしても思うとそれで良かったのだ。先生は無意識下で得体の知れない焦りがあったように思う。2019年は明らかに言葉にした。「急がないといけない気がする」だから、急にあれだけ否定した練成会をやり勉強会を矢継ぎ早に始めたのだ。あれだけ喋る行為を否定していた人がこの六年間は本当によく喋った。急いで伝えたいことがあったのだろうと思う。何が幸いするかわからない。
お昼休憩後、三々五々書き始める。翠苑氏が持ち前の行動力で皆に話しかけ、隷書探求へ余念がない。結果、良いムードも作る。「やはり人には人のある種の得意分野を活かすべきなんだなぁ」と漠然と感じながら私は黙々と書くことに。本来私は喋りたく無い。私の師匠だった亀井鳳月先生も私の少年時代を評して「無口だけど何時もニコニコして、黙って書いている子だった」と仰った。
午後のテーマは長条幅。今年やりたかったことだが、先生に「まーまー、今年も手本でやろうよ」と昨年言われ手本で書いた。自分の中で自運作は常に未消化のまま提出していたが、今なら一つの光明を感じている。いたと書くべきか。それを確認したかった。
結果は玉砕である。我というのは本当に強いものだ。刷り込まれた孫過庭も抜けない。作品の方向性は明確なのだが、それを意識すると表情が無くなる。意識しないと孫過庭をベースにした地のみが出る。自運である故に孫過庭のような表情も出ないと無い無い尽くし。
不器用な人間は自然に書くと変化に富むのかもしれないが、意識すると、しただけ変化を失う。小手先が無いのだ。小品では多少なりとも変化を得られるのだが、大作になると一貫したものが必要になる。一貫させるには意識を介在させないといけないが。それが不器用であるが故に介在させた途端表情が画一化されてしまう。そういった循環の中にいることが確認出来た。
ただ覇気は過去無いほど上がっているようだ。覇気、気は全ての作品においての基本になり絶対的価値の一つ。よく先生が「末枯た字を書くようになったら書家も店じまいだよ」と仰った。書は気の芸術なので尚更である。同時に個人的な長年の課題でもあった。万年体調不良な私はほっておくと気は末枯れて行く。
構えは気を変える
亀井鳳月先生の死、そして2017年に向かえた七回忌。同時に向かえた石丸茹園先生の十七回忌。森寛翠さんの死。本名洗心さんの死。それらを段階的に経験し、次第に思いが募っていったように思う。
気の変化は文字に出る。これまでの私は野尻泰煌という余りにも才能豊かな人間のその発露と歩みに圧倒され自分が書を真面目になるなんて片腹痛くて出来なかった。360日毎日朝から夜まで書いた森さんの書を称して言った先生の評価を聞いた時は、この世の果てを見てしまったかのように愕然とした。亀井先生との絆として書をやっきた自分が到底やる気になんてなるはずがない。
それでも変わったのは野尻先生の本当に言いたかった事が頭にあったかもしれない。師は「才能があるとか無いとか皆勝手に言うけど、僕からしたら、僕を含めて皆総じて並だよ。大したことないよ。本当に天才と言えるような人は世界で1%ぐらいしか居ないんじゃないかな? だから並同士切磋琢磨して仲良くやろうよ。お互い出来ることしか出来ないんだから。隣を見ても虚しいだけだよ。本当の意味で比較なんて出来ないんだから。小手先の上手い下手なんて僕に言わせれば目くそ鼻くそだ。でも、堪え得る力を出して何かが出来たら感じる人はそこを感じ入るよ。それこそが芸術だ」そこを伝えたい。
私は本当に奇跡的なほど不器用なのでその意味が心底理解出来る。不器用を自覚しているからこそチマチマ頑張ってきたに過ぎない。同時に私が絶望していたのもその点だ。不器用な人間は何をやっても無意味だと思って生きてきた。無意味じゃないことを先生に教えられた。
最後の品評会をやりながら「先生がいたら嬉しがったろうなぁ」と思っていた。キャリアや経験や年数関係なく、お互いに作品の良い点や気になった点を上げていく。こうしたことを実践するのは実際かなり難しい。日本人はどうしても否定から入る傾向にあるからだ。否定が得意だ。
直ぐに感情的になり率直に聞けない人が多い。同じ理由で議論が出来ない。良いところを見つけるのは勉強になる。批判同様、良いところは至るところにある。目が無いと見えてことない。そしてメリットは裏返るとデメリットにもなる。一方、批判は視点が無くても幾らでも言える。だからこそ価値ある批判は逆に難しい。
様々な可能性を感じる練成会であった。食事中に話題に出たのだが、嘗て書団体に属していながら様々な理由で辞めざるおえなかった方も多いように思う。もし、再び筆をとりたいと思うことがあれば泰永会、麗舟会、鳳煌会を一度訪れて欲しい。古典を下地にした書がテーマとして集まっている。書は日本人に合っていると改めて感じる。お気軽にその門を叩いて欲しい。
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