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往復小説:#7:普通の形

往復小説

松里鳳煌#7:普通の形>

本文

手を伸ばしている若い男性が視線に入った。

スーパーのペットボトル・コーナー。

視線はその二段目。

見ると、セール中とある。

彼は悔しそうに顔を歪めた。

車椅子だ。

腰を浮かし、支える手が震えるほど再び伸ばす。

届くことは無さそうだ。

彼はぐったりと車椅子に身体を預けた。

「これですか?」

声をかけた。

セール品のお茶、五百CC。

彼は驚いたように目をパチクリさせる。

「あれ、こっちでしたか?」

隣のペットボトルに手を伸ばす。

「いえ!・・・お茶の方です。」

彼は戸惑いながらも笑顔で言った。

「ですよね」

一つ手に取り、彼に渡す。

「一つですか?」と聞くと、

「あ、はい!・・・ありがとうございます。」と応えた。

笑みはぎこちないが精一杯なのが感じられる。

 

年の頃は二十代。

半ばだろうか。

絵に描いたようなハンサム。

影のある笑み。

本来はもっと快活な性格だろう。

その原因は明らか。

それでも人には関係性において踏み込むべきじゃない境界がある。

 

「他にありますか?」

手をクレーンゲームのように動かす。

「いえ、大丈夫です!」

気恥ずかしそうに笑う。

「ご遠慮無く。」

「本当に、大丈夫です。」

「そうですか。セールなんですね。私も買っていこう。」

彼は「ええ」と言い、笑みが和らいだ。

「御免なさいね。突然声かけちゃって。」

「いえ、凄い助かりました!」

「じゃあ、よかった。」

自らもセール品のペットボトルを二つ手にし籠に入れ買い物を続ける。

 

退職して十年が過ぎる。

 

最悪でも十年すれば治るか死ぬか決着がつくかと思った。

現実はいずれとも違った経過をたどっている。

医師は懐疑的な目線を受け気休めにもならない薬剤を無駄に渡し、親しい者たちは うつ病 を心配し心療内科をすすめる。勧めに従い診療を受ければ、医師は「貴方がうつ病なら我々のほとんどがうつ病になってしまいます」と疲れを滲ませ苦笑した。

 

倦怠感が全身を覆い尽くし、プールの底に沈んでいるような。全身がすっかり毒に侵され解毒が必要な感じだ。解毒薬を求め長くネットで病名を検索したが答えは見つからなかった。医学系の本を読んでもピタリと一致するものは無い。言えるのは、何れのケースも解決不能な病気である点で共通している。

 

カートを押す手も足の運びも重く、辛うじて立っているような状態。この日も食材が尽きて必要に迫られ出てきたに過ぎない。歩いて五分程度のスーパー。中を十分程度歩いただけでこの疲労感。もう限界を越えている。

 

二周目。

 

同じところで今度は彼が声をかけてきた。

「あの、すいません・・・」

彼は申し訳なさそうな顔をしている。

「あ、二つでした? 三つですか?」

私がペットボトルに手を伸ばすと、

「いえ、ほんとに一つだけです!」と笑った。

「こりゃ失敬」笑みで返す。

でも、彼の表情は影を落とした。

「私、何か、無意識に悪いこと言っちゃったかな?」

「いえ! 全然そんなんじゃありません。」

「なら、良かった。」

社交辞令ではない。

激しい疲労感で、自分でも驚くほど口が悪くなったと思う。

歩きながら知らずブツブツと言っている自分に気づき、気をつけようと思ったばかりだった。

「突然・・・変なこんなこと聞いてしまいますが・・・」

彼は訝しげに私を見た。

「どうぞ。」

意を決したように口を開く。

「今もそうですが、凄く自然に話してくれますよね。私が普通の人のように・・・」

彼の顔は苦痛に歪み、辛うじて言葉を捻り出した。

「普通じゃないですか?」

驚いている。

「でも僕は・・・」

車椅子を見た。

「車椅子ですよね。」

「ええ。」

「でも・・・貴方にとっては日常ですよね。昨日、今日のことじゃない。」

「まあ、そうなんですが・・・」

「だから・・・貴方にとっては普通ですよね。」

「でも、棚にすら手が届かないんです。普通じゃありません。」

彼は先ほどのことを言っているようだ。

悲壮感が覆っている。

「普通じゃないですか?」

「でも貴方は届きました。」

「彼処に女の子がいますよね。あの子は届かないでしょう。」

お菓子のコーナーで物色している子供を見た。

彼もまた彼女を見たが、その表情は優れない。

「子供なら届かなくて当然です。私は大人です」

静かに憤怒の表情を内包する。

「ごめんなさい。失礼なことを言ってしまうかもしれません。私だって手の届かない場所は沢山あります。そうした場合は届く人の手を借ります。貴方と変わらないです。逆に低い位置ならあの子や貴方の方が届き安い。そういうものだと思います。私の言っていること何かおかしいですか?」

 

彼の表情が一変した。

 

「・・・そうか。」

「もし、あの子が手を伸ばしていたとしても声を掛けたでしょうね。」

「わかります。貴方はそれぐらい自然だった。車椅子が見えてないぐらいに。私も自分が車椅子であることを一瞬忘れるぐらい。まるで普通の人みたいに思えた・・・」

「貴方にとっての普通と、私にとっての普通は違います。貴方は私が普通に見えますか?」

「ええ。どう見ても普通じゃないですか?」

「違います。実は今日も一ヶ月ぶりにスーパーに来ました。食料が尽きてしまって致し方なく。普段はほとんど寝たきりです。」

「・・・とてもそうは見えない。」

「同情されるのは嫌じゃないですか。助けてくれるわけでも無いのに。わかりますよね?」

「凄くわかります!」

「同情されても状況は変わりませんからね。とても辛いですよ。でも、私にとってはこれが日常なんです。私にとっての普通なんです。」

彼は激しく頷く。

「私にとってはそれが日常であり、普通なんです。」

彼は目に涙を一杯に溜めて言った。

「そうなんですね。とてもそうは見えなかった・・・」

「車椅子は貴方の日常なんですよね?」

「はい」

「だから普通に声をかけた。それだけです。深い意味はありません。」

「わかります! 言いたかったのは、凄く嬉しかったんです! それを伝えたくて。」

 

彼は、事故に遭い、治ってからこの半年間は塞ぎ込んでずっと家から出なかったこと。

ここ最近になって一人でなんとか出来るだけ出来ることをしようと外へ出てきたこと。

それでも辛かったこと。

皆の目線がしんどいこと。

母に泣かれること。

同情がたまらなく辛いこと。

死のうと何度も思ったこと。

赤裸々に思いの丈を述べた。

涙を流しそうになりながらも耐えて耐えていることを。

事実、彼は涙を溜めることはあっても流さなかった。

 

「泣くと折れそうで人前では絶対に泣きません。同情されたくもないし。でも、辛くて、辛くて。・・・貴方はどうして自然に笑えるんですか? 私は・・・とても笑えない・・・」

「泣いていいじゃないですか。喧嘩して怒って。でも状況は何も好転しないという現実に当たるでしょう。何度も、何度でも。それが心底わかれば笑えるようになりますよ。私もそうでしたから。前しか無いことを思い知る。元には戻らないと実感する。泣いて泣いて、怒って怒って。私はアトピーという言葉が出来る前からアトピー性皮膚炎なんですが、泣くと悪化します。痛くて痒くて悲しくなってまた泣いて・・・更に悪化する。そう見えないでしょ?」

「見えないです・・・」

「でも、同じアトピー人なら気づきますよ。外で声かけられることありますから。それも私にとっては普通なんです。嫌ですよ。でもしょうが無い。好き嫌いじゃないから。」

「・・・気づきませんでした。そんな大変な状態だったなんて・・・」

「そんなものです。」

「貴方に会えて初めて自分が普通だって思えました。本当にありがとうございました!」

「いいえ、コチラこそ。話せて良かった。それに貴方はまだいいよ~。イケメンだし、若いし、身体は元気そうだし。ぶっちゃけモテるでしょ!」

「いえいえ! 全然!」

頬を染める。

「嘘だぁ~。まあ、いいや。私なんかオッサンだし、イケメンでも無いし、お金も無いし、身体はボロボロだし、治る見込みも無いし、無い無い尽くしで、スロットならフィーバーしてますよ!」

 

彼は思わず声をだして笑った。

今日一番の笑顔。

 

「ごめんなさい思わず。」

「笑えるじゃないですか。」

「事故から初めて心から笑った気がします・・・私もコレが今の普通なんですね!」

「だから普通に声をかけたんです。」

「はい! 本当に嬉しかったです!」

「元気でね」

「貴方も!・・・少しでも、良くなりますように」

「ありがとう。貴方はイケメンの上に優しいね。こりゃ、モテるわ~。」

手を振ると、彼も満面の笑みで応えた。

その顔は今日の空のように爽やかだった。

Published in往復小説文筆

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