話者:センセイ、マッサン
鶴を折っているマッサンに対しセンセイから質問があり、それに答えている冒頭から始まる。一昨年から折り紙がしばらく頭にあり、それが2017年の国際展後に見たハンガリーの活動にて触発され、日本人としては折り鶴ぐらいは何時でも折れるようになりたいと思ったと応える。そこから感動がある型と無い型があることに気づいたと言う。センセイは、記憶には無いが幼少期に感動した要因があったのだろうと応える。そして、子供時代に何を体験したか、何に関わったかが大事で、それが核になると。センセイは、書も造形に感動して書いているというより書く行為そのものが指差を通して感動があるからではないかと持論を述べる。
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