往復小説
松里鳳煌#7:普通の形>
「日常の書」は師が「稽古の上がりの中で良いヤツを選ぶからインターネット?に上げるように」と指導があり2017年末に突然始まりました。(公開は2018年から)師が亡くなる丁度二年前です。今思えばあの頃から「無意識下の動き」があったものと振り返ります。師自体の感覚としては「潮目が変わった」そういう心境なのでしょう。
_野尻先生は十七歳で母を突然亡くし、その後に祖母の死に触れ、細君を末期癌で見送った。君江さんの死後、「懿徳」という文字を書き出す。意味を「女性によってもたらされた徳」と言った。当時「女性に支えられた人生だ」と自らを振り返る。「幸いにも字面がいい」と笑う。実に書家らしい視点。君江さんが亡くなった後から繰り返し聞くことになった言葉がある。亡くなる二週間ほど前も電話で聞いた。
私が口伝えに聞いて感銘を受けた言葉を、自ら解釈して記録する「口伝證人(くでんあかしびと)」というサイトをオープンしました。いずれ本にしようと思ってます。当初より考えていました。言葉は主に野尻先生になりますが、君江さんや、先生のお父さん、近親者や身近な人たちも列を連ねることもあります。名前は許諾を得た場合に書きます。
本サイトを今年からボチボチ稼働させることにしました。このサイトはかなり昔に作ってそのまま更新を停止し、公開をストップさせたサイトです。何時も頭の片隅にはあったのですが動かす気になれず削除する気にもなれず長く放置してました。
天外黙彊#5:公園のはなし>松里鳳煌#5-1:景色
仕事柄の癖のようなもの。
誰にしろあるだろう。
真剣に取り組んであれば当然のことに思う。
僕は人間観察かもしれない。
この前、親父に怒鳴られた。
「人ばっかり見て、お前はどうなんだ!!」
つい言いすぎた。
見ていれば自ずと口も出る。
他人事は無責任に言える。
例え事実だろうと欠点を白日の下に晒されるのは誰しも嫌なものだ。
第二回 藝文東京ビエンナーレ 開催しました。
二年に一度開催される 國際芸術文化協会(略称:藝文会)の展示会
第二回 藝文東京ビエンナーレ 2018が開催されます。
私は今回 文芸(小説)・音声表現(インターネットラジオ)に加えて
抽象表現としての墨絵(プリント)・写真(プリント) を出展。
余技の表現母体は 小説 が中心となっており、
墨絵も、写真も小説の扉絵を想定してます。
小説は 往復小説 および新作短編を公開予定。
小説の新作は展示会後 当サイト および note にて順次公開します。
音声はインターネットラジオ 藝文對談ともえ をご紹介。
是非お立ち寄り下さい。
松里鳳煌
2016年11月20日から23日の4日間開催を予定している 藝文東京ビエンナーレ に出展いたします。余技活動の発表の場ということから 文筆活動 をテーマに 小説・随筆・創作の過程 をパネルおよび配布物で展示いたします。 藝文對談ともえ の簡単なコーナーも併設。自身は1スペース2mほど、会場は点数こそ多くはありませんが、書、写真、絵、とんぼ玉、陶芸、ステージ衣装、小説 と様々な創作の過程が展示される予定です。何か一つでもお気に入りが見つかりましたら幸いです。
2016年春号 藝文会の会誌#02 に寄稿した文章を掲載。テーマは「春話」。文字数の制限は1000文字前後。発想の根源はアッチの方かな?と感じつつ自分なりの視点で書く。この春は何かと思うことが多かった。
2015年に創刊した 藝文会の会誌#01 に寄稿した文章からプロフィールを除いたもの。投げられたテーマは「私のアイデンティティ」、文字数の制限は1000文字前後。本人が書けば自ずとアイデンティティとなることから、当時感じていたことをベースに自由に書き始めた。最終的には自らのアイデンティティの一側面に辿り着いたと感じる。文章としては、何度も推敲し頭から書き直しているうちに段々面白くなくなっていくのを感じ、頃合いをみた。