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随筆:皐月会再開の背景

野尻先生一周忌

2020年12月15日朝、黙祷を捧げる。

本日で野尻先生の一周忌を迎えました。早いですね。余りにも早い一年でした。2019年とはまた違った意味、真逆の印象で早い一年です。

皐月会、再開

学藝理論会議 皐月会 の活動を再開いたします。正式な開始は来年の五月一日とし、それまでは準備期間となります。書は鳳煌会と泰永会で継続し、それ以外の活動は皐月会で展開して参る所存です。

この記事を書くまで気づきませんでしたが、奇しくも皐月会の発足は、奥様の一周忌のタイミングでした。再開が野尻先生の一周忌に当たるのは妙縁を感じます。

皐月会の由来

皐月会の発足には野尻先生のお母様と奥様の存在があります。元々は勅使河原蒼風先生の直弟子だった華道家のお母様が自らの会を持つ際に使用するように授けられたのが「皐月会」という名称です。設立時「母も喜ぶよ」と野尻先生は仰っしゃりました。当会はそれを譲り受けたのです。

奥様は書のみならず日本画やデッサン等、様々な表現手法を試み、ご自身の藝業に造詣を深める活動をされてました。奥様の死後、そうした思いが「皐月会」結成の流れへと向かわせました。

奥様の一周忌

彼女の一周忌は、今はなき十条駅近くの日本料理屋でありました。予約等は私がしたものの他は段取りが嫌いな先生が実施。「松ちゃんも来てね」と言われ、礼服を来て来場。個人としては体調が相変わらず悪化の一途を辿り先行きは見えない中で、その日も酷く調子が悪かったことが思い出されます。場は別な意味で鎮痛で空気が重く暗い。先生は着席するなり「今日の司会は松ちゃんがやってね」と突然おっしゃいます。

「えっ?」(声には出さなかった)

先生の顔を横目で見ますが、その瞬間に理解し「わかりました」と答えました。先生の顔を見たら何も言えなかったのです。束の間、彼女のご親族も着席されだし、「じゃあ、やって」と先生。当たり前のように始まります。

師弟

終わった後「突然の割によくやったね。まずまずだよ」と優しくも冷静に仰られたことが思い出されます。私にとっての先生はそういう関係性の人でした。文字通り師弟です。常に「鍛えてくれている」というのが感じられました。私にとっては有り難いことで、誤解も含め望むところでした。

ただ、もう少し身体のことを考えて欲しかったな~・・・。それも致し方ないのでしょう。先生は余りにも丈夫な方でした。

設立当時

”学藝理論会議 皐月会”は2002年5月1日設立を宣言。発起人は書家の野尻泰煌先生であり、私が代表(主宰)という立場になりました。設立に当たり多少なりとも先生とは意見交換をし、当初は断りました。こう言いました。「趣旨や考えには賛同します。参加を要請されれば応じる構えはあります。ですが、自分が主体ではもうやりたくない」と。しかし皐月会の由来、背景を聞いた際に折れました。

皐月会

そんな年に皐月会は産声を上げます。先生は彼女の為に何かを始めたかったのです。発起人である野尻先生の諸事情により2011年に活動を休止し、来年の2021年で丁度十年になります。なんとも奇妙に映りますが偶然では無いのでしょう。恐らく「松ちゃん気づいて! あんたなら判るでしょ? 僕の言いたいこと!」と叫んでいるのでしょう。

活動の分け目

先述したように「泰永会」は続けます。私にとって書はいわば本業です。当時、先生と交わした「例え二人だけになっても続けようと」と誰も来ない泰永書展で話し合ったことを思い出します。

私にとっての皐月会は別のフィールドになります。(勿論、他の人は書でも構わない)私にとっては”往復小説”といった文芸、”藝文對談ともえ”といった音声表現の活動、出版が絡むことになります。

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