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天外黙彊:往復小説#5:公園のはなし

「ワン!ワン!」

ポチは飼い主のタダオの手綱を強く引いてかん高く吠えた。

「ダメダメ。公園にお前を連れ込むわけには行かないのだよ。ほら。」

公園入口に設置された“利用者案内”をタダオは指差した。全力で手綱を引くポチに構わず、タダオは改めて案内板に目をやった。

「へぇー、面倒な決め事が色々とあるんだね。『禁止、禁止』って、なんでも禁じれば管理が行き届くと考えているのかね。」

タダオは大きな声で独り言を言った。誰かと共有したい意思がにじむ独り言だった。
十年前にポチを飼い始めた頃は、ペット連れで公園に入るのは自由だったし、当たり前だった。毎日二回の散歩では必ず途中に公園でひと休みしていた。一時期は夜の散歩で二日に一度程度は顔を合わせる女性とベンチで談笑することもあった。

彼女よりも早く到着することの多いタダオは、毎日待ち構えているのも不格好だと感じた。ある時は、彼女が来ていないことを確認すると、公園の周りを何周か回って時間を潰したりもした。タダオが同じ年頃の彼女に好意を抱いていることをポチは知っていた。散歩は口実で本当は、彼女に会いに行っているのだとポチは思った。

八月の中頃ぐらいから、彼女が現れる頻度は減っていった。彼女の話によると、仕事が忙しく、帰りが遅いときは散歩をサボってしまうとのことだった。まだ蒸し暑いが、聞こえてくる虫の音は蝉から、草むらの虫たちに変わる頃、いよいよ彼女は姿を見せなくなった。最初は「忙しいのだろう」と考えたタダオも、一ヶ月ほど過ぎると引っ越したのかと不安になった。散歩時間が変わったのだと考え、早くに出たり、遅く出たりしたが、甲斐なく彼女に会えない日は続いた。毎日二回の散歩は一回になったり、二日おきになったりした。ポチの懸命な働きかけにも関わらず、回数は減る一方だった。そんなある日、買い物ついでの散歩中にすれ違ったポメラニアンは確かに彼女が連れていた犬だとポチはすぐにわかった。どぎついピンクの耳のリボンが気取っていて、妙に鼻につくとポチは感じていたからだ。公園で対面していた頃は、飼い主同士の和やかな雰囲気とは裏腹に、犬同士は挨拶もそこそこにして、お互い深く関わろうとはしなかった。ポチにはこのメス・ポメの高飛車な感じが癇に障ったし、相手も当方には無関心。出来ることなら早く退散したいと言わんばかりに終始ソワソワしていた。落ち着きの無さを自認するポチから見ても、気ぜわしく近寄り難い印象だった。それでもすぐに気付いたのは、リボンはもとより、控えめながらも独特な脂っこさのある体臭がしばらくの間、鼻に留まり続けたからである。タダオときたら両手いっぱいの買い物に気をとられ、高飛車ポメラニアンには気付かず足早に家に帰った。飼い主の取り柄の一つは、この鈍感さかもしれない。

翌日タダオはポチに促される前に散歩の準備を始めた。ここ数ヶ月は何度促されても散歩に出かけようとしなかったから、珍しいことだった。散歩道も普段とは反対方向に向かった。昨日のスーパーに向かう道である。あんなにも沢山の買い物をしたというのに、スーパーにまだ用事があるのだろうか。昨日は買い忘れ防止のメモを何度も見直してから家を出たというのに。タダオの足取りはいつもより格段と遅く、何かを捜すように辺りを注意深く見渡していた。

小川に沿った遊歩道の昨日と同じ場所で例のポメラニアンとすれ違った。今回はタダオも気付いていたらしく、その場で立ち止まり大きな溜息をついた。タダオは落胆した。落ち込むのもわけない。犬を連れているのは想いを寄せた彼女ではなく、タダオよりも遥かに目鼻立ちの整った長身の男性なのだから。
あの時のガックリとした飼い主の表情をポチは今でもよく覚えている。

***

 かつては公園が人間のみならず、人間と一緒に暮らすペットにとっても自由なオアシスであったことに間違いはない。
ここ中央児童公園は、敷地の中央が広場になっている。公園に自由にペットが出入りできた頃は、散歩でこの広場に立ち寄るとポチは必ず全速力で駆けていた。野生の本能をくすぐられ、日頃の運動不足も一気に解消出来るからだ。
春になると公園の桜は満開に咲き誇り人々を楽しませている。中央児童公園の桜は地元では有名で、一目見ようと多くの人が集まる。木の下にブルーシートを敷いて宴会を楽しむ人達もいる。昨年設置された“利用者案内”には「公園内での酒盛り禁止」とあるから、この春の風物詩も今後は見られなくなるのだろう。

「自転車の乗り入れもダメとなれば、一体どこで練習するんだろうか?敬老会のグラウンドゴルフは広場をほぼ専有していると言うのにね。」

タダオはまたも大きな独り言を言った。子供の頃は公園や河川敷で練習したというのに、公園に乗り入れ禁止では練習場所に困ると言うわけだ。この辺りでは最後になった広い空き地も最近大きなマンションが建ってしまった。住宅地とオフィスで埋め尽くされ、河川敷も近くには無いこの地域では唯一広い場所であったのに。
とは言え、飼い犬に向かって「生涯の恋人はお前だけ」と真顔で言ってくるこの男の自転車指導はいつ拝見できるのかと内心ポチは苦笑していた。飼い主は利用者案内にまだ熱中している。

ポチは急な尿意に襲われた。ちょうどタダオが読んでいる案内板の柱に用を足した。するとタダオ達に一人の白髪の男性が近付いてきた。

「可愛いワンちゃんだね。飼い主さん、よろしくおねがいしますね。」
と優しさの中に厳しさのある口調で言って、柱に何かを掛けるジェスチャーをした。タダオは、後始末のことを言っているのだとすぐに分かった。

「あっ、すみません、今日ペットボトルを忘れてしまって…。」
と素直に謝った。

「そういうことなら、後でやっておきますから、…」

満面の笑みで男性が応えた。すると間髪を入れずに大きな声がした。
「後で、後でって、山さんいつもそう言うけどさ、一体いつやるんだね?」
白髪の男性に向かって一廻りほど年配の男性が強い口調で言った。タダオは自分が叱られているのかと驚き、身体をビクッとさせた。二人はベージュの同じ作業服を着ている。
青色の腕章には「環境美化活動」と書かれている。胸には小さなネームプレートをしている。白髪のほうが“山本”、年配のほうが“木島”と書いてある。
木島の言葉を聞いて、山本の顔は一気に真っ赤になった。
「木島さんにだけは言われたくないね、この前だって切らしたゴミ袋を『あとで取り替えておく』って自分から言ったのに、忘れてゴミ箱溢れさせたのは誰なのでしょうね?結局、区の公園課にまで苦情が行っちゃったじゃない。」
山本は「あとで」の部分を特に強調していった。
「あの時はリーダーが随分ご立腹だったね。」
「それはそうでしょ、今回が初めてでもないし、今度やったら来年はうちの会社が受注取れないかもしれない、って言ってたじゃない。どうすんのよそんなことになったら!」
「そんなこと言っていたかな?あんまりよく覚えてないな。」
「ほら、それだから困るんでしょうが…」
タダオは二人の議論が過熱しているので、その隙に立ち去ろうと静かに後ずさりした。すると、
「にゃー」
白ネコがタダオたちの横を澄ました顔をして通り過ぎて公園に入っていった。公園の広場の時計の周りに猫たちが集まり始めていた。黒やミケなど色は様々だ。井戸端会議でも始めるというのだろうか。時計の針は三時十五分を指している。

〈了〉

https://mokkyo.net/a-round-trip-novel-5/

 

Published in往復小説文筆

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