Skip to content

随筆:Ráday Múzeumよりワークショップの様子

ラデイ博物館で泰永書展を介在した何らかのワークショップが開かれたようです。

アカウントが無い方も御覧出来るように貼り込みました。

From  Ráday Múzeum  facebook page
https://www.facebook.com/pg/radaymuzeum/

*

2014/4/29 追加









2017/4/27










(随筆)

 現在ハンガリー・ケチュケメート市・ラデイ博物館にて開催中の泰永書展を介在したワークショップが開催されたようです。(推測)この姿に日本人との作品に対する距離感の差を感じました。文化とは本来身近なものに思います。日本における文化の衰退は距離感がなした部分があると感じます。

最近は少し緩和されたような話を聞きますが、日本の美術館や博物館では先の尖ったものを出すことが禁じられています。メモはおろかスケッチは特別な許可が必要で、許可の掲載がない限り許されておりません。琴線に触れた作品を目にしても表題をメモることも出来ません。そこにはメリット・デメリット双方があります。博物館のfacebook page に掲載された写真を見るに日本に失われた様々なものを見た気分です。

師は茶碗は触れないと真に理解することは出来ない。触れるから、触れる際の礼儀や茶碗そのものをまた学ぶと云います。筆の持ち方も最初はなんでもいい。まずは手に馴染ませることが先決。日本人はまず「どう持つか」「正解はなんだ」と行為をする前に聞いてくる。昔の子供は聞かなかったが今では子供ですら聞くことがある。それそのものが文化も無ければ創造的意欲も生まないと。

ただ日本人の作品に対する高等観念は保存においては極めて有益に働いているようです。海外の記事で「日本には作品を出してもいいが他の国には出したくない」そうした作品は数多くあるようです。「何故日本だけか?」これは金銭的なものも去ることながら、日本では極めて慎重に敬意をもって美術作品が扱われる為だそうです。中には自国に置いておくより安心出来るだそうで、そうした点では功を奏したと言えます。とはいえ保存技術だけ残っても最終的には形骸化します。それは仏像作って魂入れずを意味し本末転倒。双方相まって高まることが望まれますが、その為にはいかに幼少期から身近に存在させるか、そんなことをこれらの写真を拝見し学ばせてもらった気がします。

Published in文筆

Be First to Comment

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください